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エッセイ 「私とADA」皆様からの”ご応募作品」神奈川県 J.I 様 一章

『私とADA』
話は25年程前に遡る
当時私は自宅の玄関に60センチの水槽を置き熱帯魚を飼育していた。
飼育と言っても水槽に水を入れ魚を入れただけの水槽で、確か魚種はミッキーマウスプ
ラティーだった。子供もたくさん産まれ楽しかった記憶がある。
その頃よく布袋草などを買いに行っていた熱帯魚店が新店舗をオープンさせることを耳
にした私は会社が休みの日曜日にぶらりと出かけたのだが、それがその後の人生に大き
な影響を与えることとなる事などその時は知る由もなかった。
新店舗には今まで見たこともないような色とりどりの水草をレイアウトした水槽や数々
の珍しい水草が真新しい販売水槽の中で光り輝いていた。
その中にいっそう輝きを放っていた今まで見たこともない水草らしきものがあった。
表面には気泡をビッシリと纏い光を浴びてキラキラと輝き、まるで毛足の長いフカフカ
のジュータンのように販売水槽に敷き詰められていた。
瞬間、身体の中に何か恋の始まりの時のような電流とも言えるものが走ったのを今でも
はっきりと覚えている。 リシアという水草でとても高価だった。
後に知ったのだが、ADAの創設者 天野尚氏が浮き草であるリシアを水中に沈め、氏の
水草レイアウトに使用したのが大きな話題となったのだった。
私は一気にリシアの虜になった、とにかく美しい、今まで見た水草とは全く違った世界
だった。
よ?し私も・・・と思ったのだが、それを育てたり管理したりする器具も当時の私には
とても買える代物ではなかった。
それでも毎週のようにお店に通い、何とかリシアをひとつまみ買って帰り、早速自宅の
60センチ水槽に入れたのだがお店で見せていたような気泡は一粒も抱かず、ただ緑色を
した糸クズのようにだらしなく、お世辞にも美しいとは言えるものでは無かった。
ある日、水槽の水換えをするためにバケツに入れた水道水にリシアを移し水替えをして
いる間、屋外へ放置していたのだが、水替えが終わってバケツの中を覗くとそこにはあ
のキラキラと輝く今まで私に見せたこともない笑顔で私を見つめるリシアの姿があった

後に思えばその一瞬が今の私のはじめの一歩だったのだと思う。
理由がわからなかった。
水槽の中では糸クズだったリシアがバケツの中では何故宝石のように輝くのか。
ショップで聞くと、水草育成にはろ過・照明・二酸化炭素が必要でバケツに入れた真新
しい水道水に含まれた二酸化炭素と太陽の強力な光で光合成をはじめ気泡をつけたのだ
と知った。
当時の私の水槽は60センチの水槽にウールマットを敷いただけの上部フィルター、と蛍
光灯が2本、これではリシアは活発な光合成はせずに輝けなかったわけである。
当時私は単身赴任の真最中で、その後15年程各地を転々とした。
楽しみといえば、帰宅した時に通うショップで展示水槽を見ることであった。
ある日、ご主人から水草レイアウトをやってみないかと声をかけられ、グリーン・ロタ
ラを買ったのだが二酸化炭素も、濾過フィルターも光量も足りない60センチ水槽では買
っては枯らし、買っては枯らす繰り返しだった。
数年後ようやく手に入れたのがADAの二酸化炭素添加システム、アドバンスシステムだ
った。
それは銀色のパッケージに包まれ高級ブランド商品の様にキラキラと輝き、まるで子供
が欲しかったおもちゃを買ってもらった時のように枕元に置いて寝るまで眺めていたの
だった。
その後、外部フィルター・照明セットを手に入れ,ついにはグリーン・ロタラも水槽の
中で元気な姿を見せてくれるようになった。
時を同じくして、ショップでADAの製品の多くと、創設者である天野尚氏を知った。
ショップで頂いたADAのカタログはとてもカタログとは思えないほどの物で、隅から隅
まで読み漁った。 カタログが愛読書になった。
ショップに内緒で「世界水草レイアウトコンテスト」に応募したのは2003年だった。
無謀にも、自信満々で出品した。題名は「グリーンの森」。
水草レイアウトとは程遠く、水槽の中にグリーン・ロタラが繁茂しているだけのものだ
った。
結果は369位。それでも嬉しかった。作品集に写真が載った。とても励みになった。
その後の人生はガラリと変わった。
ADAの出版するAjは創刊号から全て集め、同社に関する出版物、カタログは全て
入手し、新潟のADA本社社屋にある「ネイチャーアクアリウムギャラリー」にも足を運
んだ。
そこはまるで研究所のような佇まいで、駐車場に車を置きギャラリーに一歩踏み込んだ
瞬間に心臓が破裂しそうに興奮したのを今でもはっきりと覚えている。
対応してくれたのは今の大岩専務だった。
その後のイベントにはほとんど参加したことは言うまでもない。
「天野尚と行くドリームツアー」にはショップの協力もあって2回とも参加させていた
だいた。
第一回ドリームツアーでは宴会の席順は最年長参加者という事で天野氏の隣の席に座ら
せていただき、美味しい新潟の食事と酒をいただいて、天野氏と一緒に風呂にも入った

夢のような時間だった。
新潟には毎年のように足を運び、第二の故郷になり「ネイチャーアクアリウム」愛好家
の聖地となった。
その時の一行に岸下雅光氏がいた。
数年後、偶然にも行きつけのショップの駐車場で岸下氏と再開した。
縁とは不思議なものである。ひょんなことから、ブログで開店準備中の記事を見た。
熱い血がグルグルと私の身体の中を駆け巡るのを覚えた。
数ヶ月後、いてもたってもいられず新幹線に乗っていた。新潟ではなく三河安城へ向け
て・・・

          そして2020年・水草レイアウトアトリエ
       『NATURE AQUARIUM STUDIO ・ 瑞景色』完成
          伝説の人       天野尚氏
          水草レイアウトの師匠 山岸實氏
          

・・・・・・・・・・・・・・『良い出会いは人生を豊かにする』・・・・・・・・・

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